尾瀬ヶ原
「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」
尾瀬に入る登山口のひとつ、大清水口。バスを降りて尾瀬沼に至る林道入れ口にはマイカーやバスを通さない遮断機が設けられている。
尾瀬沼、長蔵小屋の三代目というよりは尾瀬の自然保護運動の先兵として世論を沸かせた平野長靖の記念碑的な象徴と思っている。
「尾瀬縦貫自動車道路工事」反対運動の先頭に立っていた長靖は昭和46年、当時の大石環境庁長官に直訴した。このことが発端となって全国的な保護運動が起きたのだった。
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尾瀬ヶ原
「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」
尾瀬に入る登山口のひとつ、大清水口。バスを降りて尾瀬沼に至る林道入れ口にはマイカーやバスを通さない遮断機が設けられている。
尾瀬沼、長蔵小屋の三代目というよりは尾瀬の自然保護運動の先兵として世論を沸かせた平野長靖の記念碑的な象徴と思っている。
「尾瀬縦貫自動車道路工事」反対運動の先頭に立っていた長靖は昭和46年、当時の大石環境庁長官に直訴した。このことが発端となって全国的な保護運動が起きたのだった。
長蔵小屋=尾瀬沼の畔で
運動と山小屋の経営と、疲労は重なっていたのだろう。この年、山小屋の越冬準備を終えて帰る途中、一之瀬休憩所の前で力尽きて死亡。「かわいい三人の子どもがいること、楽しかった日々のこと、そして生涯に悔いはなかった、と語ったのが最期の言葉だった」。(岩波新書「尾瀬-山小屋三代の記」後藤允著
尾瀬ヶ原
「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」
尾瀬に入る登山口のひとつ、大清水口。バスを降りて尾瀬沼に至る林道入れ口にはマイカーやバスを通さない遮断機が設けられている。
尾瀬沼、長蔵小屋の三代目というよりは尾瀬の自然保護運動の先兵として世論を沸かせた平野長靖の記念碑的な象徴と思っている。
「尾瀬縦貫自動車道路工事」反対運動の先頭に立っていた長靖は昭和46年、当時の大石環境庁長官に直訴した。このことが発端となって全国的な保護運動が起きたのだった。
長蔵小屋=尾瀬沼の畔で
運動と山小屋の経営と、疲労は重なっていたのだろう。この年、山小屋の越冬準備を終えて帰る途中、一之瀬休憩所の前で力尽きて死亡。「かわいい三人の子どもがいること、楽しかった日々のこと、そして生涯に悔いはなかった、と語ったのが最期の言葉だった」。(岩波新書「尾瀬-山小屋三代の記」後藤允著)
尾瀬に咲く可憐な花
この出来事は、大規模林道開設が本当に地元の、そして国民の利益にかなうものなのかを考えさせる。
この遮断機をくぐり、しばらく歩いて行くと道は二股に分かれる。直進が尾瀬沼へ、右への道が日光へ続く「奥鬼怒スーパー林道」だ。全国で23路線あった「スーパー林道」構想のひとつが着工から20年ぶり、平成3年に開通した。
この道路を巡っても自然保護団体の反対が強く、昭和56年、当時の鯨岡環境庁長官の「マイカーを通さない」との「裁定」で、着工になった経緯がある
ぶな=尾瀬で
急な斜面を切り開いた山側はコンクリートが吹きつけてある。左側の景色はふた抱えはあろうかというブナの原生林だ。舗装はされていない。道幅も約4㍍で車がやっとすれ違える程度だ。
地元には「観光客を通さない道路なんて価値がない」と規制緩和を求める声もある。こうした声に対し自然保護団体側は「木を伐採しすぎた。崩れる危険もあり、一番いいのは廃道にすることだ」と反論する。
建設が中止になったスーパー林道もある。秋田県八森町と青森県西目屋村を結ぶ青秋林道だ。全国最大規模の白神山地ブナ原生林を分断する形で建設が進み、「開発か自然保護か」で論議を呼んだ。知床国有林の強行伐採につぐ、貴重な自然の破壊として注目されたのだ。
この工事は昭和57年から始まった。62年、農水省はルート上にある国有林(ブナ林)の水源かん養保安林の指定解除を行った。世界最大のブナ原生林が分断のどたん場に追い込まれたのだった。事実上「ゴー」サインが出たことになる。
これに対し、地元の自然環境保護団体などが反対運動を展開。環境保全や自然保護に対する世論の高まりが建設の中止に結びついた。
尾瀬ヶ原
「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」
尾瀬に入る登山口のひとつ、大清水口。バスを降りて尾瀬沼に至る林道入れ口にはマイカーやバスを通さない遮断機が設けられている。
尾瀬沼、長蔵小屋の三代目というよりは尾瀬の自然保護運動の先兵として世論を沸かせた平野長靖の記念碑的な象徴と思っている。
「尾瀬縦貫自動車道路工事」反対運動の先頭に立っていた長靖は昭和46年、当時の大石環境庁長官に直訴した。このことが発端となって全国的な保護運動が起きたのだった。
長蔵小屋=尾瀬沼の畔で
運動と山小屋の経営と、疲労は重なっていたのだろう。この年、山小屋の越冬準備を終えて帰る途中、一之瀬休憩所の前で力尽きて死亡。「かわいい三人の子どもがいること、楽しかった日々のこと、そして生涯に悔いはなかった、と語ったのが最期の言葉だった」。(岩波新書「尾瀬-山小屋三代の記」後藤允著)
尾瀬に咲く可憐な花
この出来事は、大規模林道開設が本当に地元の、そして国民の利益にかなうものなのかを考えさせる。
この遮断機をくぐり、しばらく歩いて行くと道は二股に分かれる。直進が尾瀬沼へ、右への道が日光へ続く「奥鬼怒スーパー林道」だ。全国で23路線あった「スーパー林道」構想のひとつが着工から20年ぶり、平成3年に開通した。
この道路を巡っても自然保護団体の反対が強く、昭和56年、当時の鯨岡環境庁長官の「マイカーを通さない」との「裁定」で、着工になった経緯がある。
ぶな=尾瀬で
急な斜面を切り開いた山側はコンクリートが吹きつけてある。左側の景色はふた抱えはあろうかというブナの原生林だ。舗装はされていない。道幅も約4㍍で車がやっとすれ違える程度だ。
地元には「観光客を通さない道路なんて価値がない」と規制緩和を求める声もある。こうした声に対し自然保護団体側は「木を伐採しすぎた。崩れる危険もあり、一番いいのは廃道にすることだ」と反論する。
建設が中止になったスーパー林道もある。秋田県八森町と青森県西目屋村を結ぶ青秋林道だ。全国最大規模の白神山地ブナ原生林を分断する形で建設が進み、「開発か自然保護か」で論議を呼んだ。知床国有林の強行伐採につぐ、貴重な自然の破壊として注目されたのだ。
この工事は昭和57年から始まった。62年、農水省はルート上にある国有林(ブナ林)の水源かん養保安林の指定解除を行った。世界最大のブナ原生林が分断のどたん場に追い込まれたのだった。事実上「ゴー」サインが出たことになる。
これに対し、地元の自然環境保護団体などが反対運動を展開。環境保全や自然保護に対する世論の高まりが建設の中止に結びついた。
ふるさとの林道=山形県温海町
過去の事例からスーパー林道建設を巡る共通点がうかがえるように思う。林道が本当に必要なのか、本当に地元の利益にかなうことなのかを抜きには語れない。目的は過疎町村の経済文化交流を強化することだ。
過疎化に歯止めをかけたい町村にはわらにでもすがりたい思いにちがいない。しかし、白神山地を例に出すまでもなく、その価値もカネで測れぬほどに大きい。
では本当に地域や林業の振興に役立つのか。白神や奥鬼怒スーパー林道は道幅が4㍍と狭い。また半年ちかくも雪に埋もれる林道で、どんな交流・振興が期待できるのだろう。
毎年必要な補修のための地元負担分は結局、地元住民が納める税金からだ。 例えば、南アルプススーパー林道は50億円近い巨費を使った後、台風で二年間不通になり復旧に6億7千万円かかった。これに毎年の管理費・修復費が上乗せされるのだ。
次に、振興が必要なことはわかっているが、ほかの手段で代替できないか。公共投資を増額するとか、老後を安心して暮らしていけるように特養と介護のネットワークを築いていくなどの永続的な振興策を打ち出したほうが、雇用の創出の点からも、ずっと効果が大きいのではないだろうか。
さらに水源を育てる保安林をそう簡単にお役御免にしてよいのか。保安林の指定も解除も同じ林野庁の「お手盛り」では林野庁の「やりたい放題」ではないか。保安林に対する信頼が失われないように解除の判断は第三者が行うものだろう。
政治・経済活動に押されて日本の自然にはずいぶんと手が加えられてきた。こわした自然はなかなかもとには戻らない。目の前にある利益を見て100年の計を忘れる愚かなことを何度も繰り返してほしくない。