鉄道林にかけた国鉄職員


                                                 宗谷線塩狩駅  

 「サクラのトンネルの中に列車を走らせたい」。後藤さんがこんな計画を思いついたのが始まりだった。当時、国鉄旭川鉄道管理局の営林課長だった。
 当時は木を植える予算もなかった。防雪林を、というと顔をそむける担当部長もいた。「なんのメリットもない」「なんで国鉄だけでやるのか」と経理担当者は強く反対した。
   予算流用で主計局から出入り差し止めを食っている。予算に防雪固定さくの項目がある。当時の金で3千万円あった。それを植えるほうに回したのだった。本社から苦情が来る。後藤さんにいえば、大声でやりかえされる。それで「課長では困る」と、部下が呼ばれて油をしぼられるのだ。
 防雪固定さくを10キロ作るのに一千万円かかるが、防雪林なら同じ金で百キロできた。しかも費用の7割は、そこから上がる木材収入で回収できる。それでも「もったいない」というのだ。
 「飛行機でも、車でも、新幹線でも味わえない美と安らぎを与え、旅行者が一度は通ってみたい、というような防災を兼ねた鉄道林を作るべきではないか」。宗谷線塩狩駅の鉄道林は、そんな夢のひとつでもあった。全長6キロのサクラの林はいま、職場の後輩が少しずつ線路両側に増やしている。

                                      ドイツトウヒの林のなかを走る機関車

  JRの鉄道林が今年5月で創立105年を迎える。北海道剣淵町の深川林地。吹雪の日、運転士はドイツトウヒの林地に入るとほっとするという。かつてこの地は加湿泥炭地で、木々の姿はなく、吹雪のたびに列車は立ち往生した。一人の営林職員が防雪林造成に挑戦した。排水溝を巡らせて地下水位を下げ、造林が可能なことを突き止めた。この道一筋に27年、過労で亡くなった。深川冬至さんだ。その名を取った「深川林地」はいま、20メートルの林になった。
 
                                                   野辺地駅の防雪林

  わが国最初の鉄道林、青森県野辺地駅構内。高さ・奥行きともに30メートル近くのスギ林が線路沿いに400メートル続く。整然と林立した美しい林だ。「野辺地防雪原林」と呼ばれ、町のシンボルでもある。

米沢市街地を走る山形新幹線は長さ3キロに及ぶアカマツの防雪林に守られている


 米沢市の鉢森山にはJR東日本の水源林・板谷6号林があり、近くを走る山形新幹線を線路浸水、土砂崩壊から守っている。かつては蒸気機関車に水を補給するために整備した。ブナ・ミズナラなどの広葉樹が広がり、湿地には水芭蕉が咲く。
 防雪林は、線路の両側にそれぞれ110メートルの樹林帯を置く(写真)。防災のためだけなら狭くていい。鉄道林全体を指導した本多静六博士は、それが経済的にも成り立つようにと考えた。かつて鉄道林は直営の製材工場を持ち、戦後20年余は黒字だったのだ。
             輝く新緑=5月18日、米沢市の鉢森山付近で