2個の弁当 東日本大震災

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震災で大きく傷ついた南三陸町の海岸は何事もなかったように穏やかだった     y/k

 大震災からまもなく10年。けさの朝日新聞に、息子と同級生の弁当を作り続けた人の話が載った。岩田久美さん。
 名取市閖上(ゆりあげ)では、津波で1,000人余が犠牲になった。9年前、岩田さんは当時高1の長男に毎朝2つの弁当を持たせた。ひとつは津波で両親を亡くした同級生に。

 その年、朝日新聞の声欄に「高1の長男に弁当を2個持たせている。……」という小さな記事が載った。
 その短い記事を読んだ新潟県長岡市の人から、30キロの米が届いた。米は千葉からも届き、仮設の近所の人とも分けた。
 「食べ盛りの男の子2人にご飯を軽く盛るわけにはいかない。助かりました。」と当時を振り返る。

 

 この記事を読んだ私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景が焼きつけられたような気がした。そうしてそこから、ホッとした心もちが湧わき上って来るのを意識した。