塩狩峠 ふたつの実話

街を彩る季節になりました=3日

 『塩狩峠』は「氷点」などの代表作がある作家三浦綾子の小説で知られています。
 この小説は、明治42年に発生した鉄道事故で殉職した実在の人物を元に、多数の乗客の命を救うため自らを犠牲にした若き鉄道職員の生涯を描いています。
 この塩狩峠は今、一目千本桜(ひとめせんぼんざくら)と言われる桜の名所として峠一面を覆いその美しさを誇っています。
 その経緯を知ったのは、たまたま目にした古い新聞の記事からでした。
 以下は鉄道林にかけた国鉄職員の逸話です。
 
 「サクラのトンネルの中に列車を走らせたい」。後藤さんがこんな計画を思いついたのが始まりだった。当時、国鉄旭川鉄道管理局の営林課長だった。
 当時は木を植える予算もなかった。防雪林を、というと顔をそむける担当部長もいた。「なんのメリットもない」「なんで国鉄だけでやるのか」と経理担当者は強く反対した。
   予算流用で主計局から出入り差し止めを食っている。予算に防雪固定さくの項目がある。当時の金で3千万円あった。それを植えるほうに回したのだった。本社から苦情が来る。後藤さんにいえば、大声でやりかえされる。それで「課長では困る」と、部下が呼ばれて油をしぼられるのだ。
 防雪固定さくを10キロ作るのに一千万円かかるが、防雪林なら同じ金で百キロできた。しかも費用の7割は、そこから上がる木材収入で回収できる。それでも「もったいない」というのだ。
 「飛行機でも、車でも、新幹線でも味わえない美と安らぎを与え、旅行者が一度は通ってみたい、というような防災を兼ねた鉄道林を作るべきではないか」。宗谷線塩狩駅の鉄道林は、そんな夢のひとつでもあった。全長6キロのサクラの林はいま、職場の後輩が少しずつ線路両側に増やしている。

一目千本桜(ドローン空撮) https://youtu.be/kS-fXMlRGVQ

花見客や三浦文学ファン、鉄道ファンなど全国各地から訪れる人々を静かに受け入れる「塩狩峠」=和寒町ホームページより