電報

ガラスの中にとじこめた空想の街。作品の入れ替えが楽しみのひとつです=30日、コロロ硝子で

 電報を利用していますか。新聞記事を参考に歴史を紐解いてみると…。

 年賀電報が始まったのが昭和9年。電話で取り次げるようになったのが2年後です。そんな電報事業も電話に食われ昭和34年に100億円の赤字を出すようになりました。
 電報といえば慶弔と思っていたら、自殺予告電報や暗号電報、気象電報などが話題に取り上げられていました。

 なかでも「ひどい」と思ったのがサラ金電報です。昭和58年10月27日付の朝日新聞は「夜の電報、サラ金が占拠」と伝えています。
 「取立てを手伝っているようで、仕事だからとは割り切れない」、「仕事の疲れとは違う、イヤな感じの疲労感が残る」-と電電公社の職員の声が載っていました。

 夜勤、宿直者に管理職も含め、総がかりで対応し、約50台のタイプが絶え間なく鳴り続ける。
 内容は「シキュウカネカエセ」に始まって、「ニゲテモムダダ オマエハホウイサレテイル」「カエセナケレバ カラダデハラエ」といった陰湿で脅迫的なものまでさまざまだ。

 職員・配達員らには「取立てのお先棒をかついでいるようなイヤな気分」がつきまとう。仕事だと思ってはみても、そうは簡単に割り切れないのだ。
 翌年の日本経済新聞は「夜間配達は原則禁止を決める」と伝える。民営化に向けた電報合理化の一環だが目的外利用の増加と無縁ではないと思う。

 夜間の電報サービスを縮小して、あらかじめ決められた電文しか使えない定文の緊急電報に絞ったのが昭和60年。そして平成2年、深夜配達が完全廃止になりました。

 そして、現在。慶弔電報や出産や還暦のお祝いなどにギフトを添えて電報を送ったり、昇進や就任祝いの電報などビジネスシーンでも活躍しています。
 電話やメールだけでは伝えきれない特別なメッセージを電報で表現してみませんか。