能登大震災

あれから12年、この穏やかな海を大津波が襲いました=2011年、避難所になった南三陸ホテル観洋で    y/k

 穏やかな元旦を迎えていた夕刻、能登半島をM7.6の激震が襲いました。

 状況が判明するにつれ被害は大きく拡大し、多くの市民を巻き込む大災害となってしまいました。加えて、厳しい冷え込みに震える被災者の救援に向かう海保機が日航機に衝突するという痛ましい事故が起き、犠牲者が発生したことは痛恨の極みです。

 不幸にも犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。また、お怪我をなされた方、ご不便な避難生活を送られている方々には、一日も早い回復と支援の届くことを心からお祈りしお見舞いを申し上げます。

 平成23年のあの大震災は、多くの教訓を私たちに残しました。心配された志賀原発刈羽原発柏崎は「問題ない」とされましたが原発が住民の潜在的なリスクであることに変わりはありません。
 津波と火災、起こりうる原発事故の三重の災害は、我が国にとってたいへん大きな試練であると同時に、未来に生きる幼い子どもたちのためにも何としてもこの困難を乗り切らなければならない使命を現代の大人に示しているのだと思います。このことは、国民全体に対して“何ができるか"を問うているのだと思います。

 ひとたび首都圏に目を向けると、今後30年以内に、マグニチュード7級の首都直下地震南関東で高い確率で起きると予想され、南海トラフ地震も切迫が指摘されています。

 地震は怖い。何時起こるか判りません。しかし、待ったなしの大問題とすれば、家庭でも職場でも、出来ることから実行することが必要でしょう。避難袋、非常食の用意、家具器具の安全配置、被災時の連絡網、帰宅路の確認などから始めたいと思います。