昔つれづれに(2) 歴史年表づくりの苦労

出典文書に解釈の違いも  出版社に聞く         1986年局報

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     年表の資料づくりに忙しい高木昭氏(手前)=筑摩書房

 

 五階の編集局から「歴史年表」を送れとの注文。どの時代のことが必要なのかわからない。そこで注文してきた記者に電話で問い合わせる。

 中国の秦時代が知りたいということがわかり、書架に急ぐ。おおよその見当をつけて、まず一冊をとりだす。中国の秦時代のページをめくる。もっとデータが欲しいなあ、と次の本をとりだす。結局、二冊の歴史年表を送ることにした。

 人間にそれぞれ顔があるように、歴史年表の内容も微妙に違っている。編集の基準は何だろう。

 筑摩書房が日本の歴史年表を出版するという話を聞いた。既刊のものをどれだけ超えることができるのか、その編集のプロセスを知りたいと思った。私は、神田小川町筑摩書房を訪ねた。

 第五巻の「江戸後期」の編集の担当デスク、高木昭氏から年表編集の苦労話などを聞いた。

―この企画はどんないきさつから生まれたのですか。

 高木 十年近く前になるんですが、私どもで「江戸時代図誌」(注1)という仕事をしたのですが、やっている途中でいい年表がないな、ということが話題になりましてね。そこで、別巻で「絵年表」という図版と年表を組み合わせた仕事をしたわけです。それが好評で仕事の流れとして、通史をやろうということになったわけです。

―編集のポイントは。

 高木 注釈や索引をつけるとか、図版を入れるとかいった要素をたくさん盛り込んで、親しみやすい年表にしようということにしました。監修の林屋辰三郎氏(京都大学名誉教授)から「やるならば、今までの歴史学のなかで、今、必要とする年表を作らないと意味がない」というような明確なお考えが出されまして、その柱は、出典を明記し、これまで光があたっていなかった地域史の成果を完全にふくみ込むことだったのです。また、編集にあたり、原因と結果を押さえていく作業も必要になりました。例えば、幕末にペリーらが来て、条約を結びますね。普通の年表だと日米の間で条約を締結したとしか書いてないわけです。ところが、そのあとに横浜開港反対の問題とか、条約のひとつの情報をめぐって、いろいろ事件が起きてくるわけですね。その事件の発端と結末を押さえていこうというわけです。

―出典を調べるのにだいぶ苦労されたそうですが。

 高木 最も苦労した点です。私どもが、作っているもの自体が本当に正しいのかについては、ひとつの文書にでも解釈の違いというものさえ生まれる場合がありますし、それを突っ込んでやっていくとなると、それはもう、歴史学の根幹になっちゃうわけですね。

―具体的にどんな例がありますか。

 高木 江戸時代で最も困ったのは、「女歌舞伎の禁」(注2)というのが寛永六年にあるんですが、古文書がない。これを入れないと歌舞伎が成立しなくなってしまうんです。また、こんな例もあります。江戸時代は「百姓一揆」がおおきな要素としてあるんですが、ある項目で著者が示した出典が、郡史なんです。これは、出典としては使わない方針を立てていますので大変困りました。そこで現地の研究家の方に克明に調べていただいたのですが、それを傍証するような文書がでてこないんです。それで担当者は困ってしまう。著者のご苦労もあるわけですからね。板ばさみになる。これが、もし、うまくたどれて年表本体に表現できると、なにか、ホッとするんですが。

                ◇

 そばで話を聞いていた第四巻の編集者、尾方邦雄さんがこんなことを話してくれた。 

 「最近でも、芦田均の日記のねつ造というようなことが問題になったでしょ。ああいうことっていうのは昔にもきっとあったんですよね。高木さんが傍証っていいましたが、ひとつの史料に書かれていても、何か別のもので裏付けっていうのが欲しくなるわけですよね。複数の記述がないと、本当にあったんだろうかって気がするもんですね。ただ、出典がひとつしかない場合でも、これはこれまで複数の記述によって認定されている項目っていうのが多いだろうということですね」

 年表編集の流れは次のとおり。

 ①年代を追って、一項目ずつ解きほぐす。出典の付いている項目は引き写す。

 ②地域別に分類する。

 ③各巻の編者が項目を落としたり、追加する。最終原稿の二倍程度の項目量にする。 

 ④出典の確認に当たる。活字化されているものは原本を見る。

 ⑤未確認のものは編集部と編者の宿題になる。出典がわからないものは削る。最終原稿までに五、六稿起こすそうだ。

               ◇

―ところで、新聞記事に関心をお持ちですか。

 高木 こういう仕事をしている関係で、新聞は丹念に読んでいます。私の関心にこたえてくれるものと、そうでないものと、基準みたいなものはもっていますが……。

 尾方 文化欄っていうのは、新人物紹介みたいなつもりで読むことが多いですね。読者の立場から思うことですが、とかく風化されがちな裁判の中に、社会的な問題を提起しているものってありますよね。そういうものを定期的に報道してフォローすることがあってもいいのではないか、と思いますね。

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 年表といえば、元東京大学史料編纂所長、辻善之助博士が監修した「大日本年表」(昭和17年)が有名である。筑摩書房ではこの年表を模範として、具体的事件ごとに、これを示す資料を読者に具体的に教える方針を立てたという。

 紀元前数千年にさかのぼった年表が刊行されたのは戦後になってからである。戦前は、皇国史観ゆえに、歴史年表も例外なく神武天皇即位元年から開始されていた。この辺の事情、天地創成から神武天皇建国にいたる説明は「古事記」、「日本書紀」に詳しい。

 五月二十八日、「高校用″復古調″日本史教科書を文部省が了承」というニュースが報道された。この「建国神話」を日本国家の起源にとりあげた教科書である。「年表・日本歴史」の監修者のひとりで、編集のさなかに急逝された日本古代史の権威、井上光貞氏(東京大学名誉教授)は、「政治が真実をくもらそう、とするときに歴史家は真実を知らせなければ」といっている。

 ある夜、年表の注文があった。今まで何気なく渡していた年表に人のぬくもりと重みを感じた。

〈注1〉江戸時代図誌=昭和50年、古代史に続き江戸ものがブームになつたが、豊富な図録をもとに「ふるさとの文化の発見」をキャッチフレーズにした″見る江戸百科″。三都のほかに各街道筋にも光をあて、地方文化を掘りおこすと同時に、歴史の旅のおもしろさをねらった。全25巻。調査部所蔵。

〈注2〉女歌舞伎=慶長八年(1603)京都で、女性の雑芸者「阿国」によってはじめられた歌舞伎踊とは区別されている。この歌舞伎踊が遊女歌舞伎といわれるレビュー的歌舞となって風紀上の問題を起こしていた。