2007年06月01日(金) シュバイツァー博士

 

ハンセン病棟。 家族縁者が周辺で自炊して暮らす

 

 切り抜きの仕事は来年9月で終える。
 クリップで綴じ込んである切抜きをただ製本に回すのはつまらない。
 大事な記事が落ちていないか、へんな記事が紛れていないか、チェックしながら年表も作る。
 きのうきょうは「海外の病院」をテーマに仕事を進めた。

 「生命尊重の村ランバレネ 一匹の蚊をいつくしむシュバイツァー博士」という活字が目に留まった。博士は太っているように見えた。入院も治療も無料の病院の屋根はトタン葺きだ。その後の様子を知りたくて何枚か切り抜きをめくる。
 「シュバイツァー病院も近代化」の記事。博士が亡くなり6年を経ると「資金不足で閉鎖の危機」とある。「風化したシュバイツァーの遺跡 植民地時代の象徴と閉鎖迫るガボン政府」……博士の机は厚いホコリにおおわれていた。
 そして3年の歳月が流れた昭和50年、「資金難で閉鎖の恐れ」「資金援助も絶えついに灯消える」「財政難で閉鎖、今年限り」と動静を伝える。
 その後の運営をガボン政府が引き受けることになるが、以後記事はない