谷川岳をイメージした巨大な三角屋根の駅舎。年季の入った看板には「日本一のモグラ駅」とあります。
昭和6年、清水トンネルが完成したことで駅の歴史が始まります(注)。
開業当時は単線。土合駅のホームも地上だけで、これが現在の上り線ホームです。
上越線は昭和42年に複線化、新清水トンネルは下り専用線として使われています。トンネルの途中には下り線ホームができて、かくして「日本一のモグラ駅」が誕生しました。
地上に出るには標高差81メートル、地上までを一直線に伸びる階段を上らなければなりません。
さらに、改札出口まで後143メートル、階段2ケ所で24段上り、やっと無人の改札口にたどり着きます。
なんでこんなことになったのか?
湯檜曽(ゆびそ)ループ線の拡張工事ができなかったからです。土合駅上り線を発車した列車は、まもなく螺旋階段を下りるように、ループ状のトンネルを回りながら50メール弱の高低差を一気に詰めていきます。このトンネルを拡張できず、新清水トンネルを新設。トンネルの途中に土合駅の下り線ホームができたというわけです。
ひんやりと湿気を帯びた空気。わき水の流れる音がします。薄暗いホームに列車が近づいてくると、風の音、ブレーキの音、耳をつんざくような警笛の音が反響します。真夏でも空気は冷たく、半袖だと肌寒いくらい。列車に押し出された圧縮された空気は逃げ場を求めるように、長い長いまっすぐな階段をのぼっていきます。すごい風です。トンネルの湿気を含んだ冷たい空気が地上の暖かい空気に触れると、山から雲が湧くように辺りが真っ白になったのには驚きました。
子どもたちを連れて、何度となく利用した土合駅。日帰りできる天神平や歴史街道と呼ばれる一の倉沢ハイキングコースは素敵です。再訪すべく思いを馳せています。
(注)清水トンネル開通
「上越線初列車立つ 満員で清水の大トンネルへ きょう開通の賑わい」「ラジオ/上越線全通記念 祝賀会の前夜をよろこび放送 地元の美形連が上京して」「ソレ!東洋一、お客総起ち 真夜中に万歳の声 上越線初列車同乗の記」(昭和6年9月1日付朝日新聞見出し)